コラム
患者さんとご家族が同じ思いで最期を迎えるために医療者が心がけておいたほうがいいこと
在宅医療における患者さんとご家族との関係に対し、在宅医療に関わる医療者はどのように関わっていくべきなのでしょうか。今回は、患者さんの思いとご家族の思いにズレが生じた時に医療者は何をするべきなのか、この問題について考えてみたいと思います。
患者さんの思いとご家族の思いにズレが生じるとき
先日、私たちの勉強会に参加されたケアマネージャーさんから、次のようなご質問をいただきました。
「私が担当させて頂いている、在宅医療を受けている患者さんについて質問があります。ご本人は、自宅で最期まで過ごしたいと希望されています。しかし、ご家族は『施設に入れたい』と仰っています。患者さんとご家族の間でお気持ちにズレがあるのです。また、ご担当の訪問看護師さんは『まだ在宅でのケアが可能であると』仰っています。ケアマージャーとしては患者さん自身のご希望を叶えたいと思っています。ご家族にどのように説明するのが良いでしょうか。」
これは、在宅医療ではよくある問題かもしれません。私はこのご質問をいただいたとき、ご家族がまだ介護に対する自信が芽生えず、抱える漠然とした不安がまだ解消されていないのではないかと考えました。
在宅医療を受ける患者さんご本人の思いを叶えたいというのは、ご家族も医療者もみながそれぞれの立場で考えていると思います。
しかし、24時間患者さんに接しているのはご家族です。在宅医療を提供する医師だけではなく、訪問看護の看護師、在宅介護の介護士も、1日のうちの一定時間だけ、つまりポイントごとでしか患者さんには関わることができません。自宅で患者さんに起こるさまざまな変化に最初に対応するのはほとんどがご家族です。その点では、ご家族の理解やコンセンサス、協力がないと、在宅医療は成り立たないと考えています。
在宅医療を提供する医師、看護師や、在宅介護を提供する介護士さんたちはご本人の思いを叶えてあげたいという「事業者の思い」もあるかと思います。しかしこの事業者側の思いが強すぎてしまうと、結果的に本当の意味でご本人・ご家族の思いに寄り添うことができなくなってしまうことがあります。
ご家族は「在宅での医療や介護は無理」と考える、その一方で医療者や介護者は「まだ行ける、在宅でも対応できる」と考える場合、大きく2つの課題があるのではないかと考えられます。
この先の見通しを伝え、ご家族の不安を払拭する。
まずひとつの課題は、ご家族が抱えているであろう不安に対して介入できるかどうかです。
ご家族がよく抱えられる不安の一つとして、これから患者さんがどのような経過をたどるのか、どういう流れで最期の「お看取り」へと移っていくのかが分からないというものがあげられます。
もちろん患者さんの病状、例えばがんの末期なのか、それとも老衰という形で最期を迎えるのかは患者さんそれぞれで違いますから、どのような流れで最期を迎えるかは、一概にはいえません。しかし、個人差はあるものの、疾患や現在の症状などからある程度、予後や最後に向けて今後起こりうる変化を予測することはできると思います。
今のような状況であれば、今後はこういう流れになると思われるということをご家族が知っていれば、不安の解消にもなります。また、今後の介護の計画も立てられると思うのです。「先が読めないという不安感」と「介護への負担感」、これはご家族にとって精神的・肉体的に大きなものではないでしょうか。
患者さんが施設に入れば、ご家族は不安感や介護の負担感から距離を置くことができます。このような理由から「自分たちにはできないから施設へ」と考えてしまうことも十分理解できます。
これに対しては、在宅診療を行う医師がしっかり説明して、ご家族の不安を払拭することが必要だと思います。そうすれば「何が何でも施設へ」ということにはならないと思うのです。訪問診療よりも先に訪問看護師さんが入っている場合は、ご家族との関係性も良好かと思います。、訪問看護師さんがご家族へお話しされてもよいとは思います。しかし一般的には在宅診療を行う医師がその役割を担うことになると思います。
ご家族による「在宅介護の断捨離」を目指そう。
それからもう一つの課題は、ご家族が在宅での介護に対するエネルギーの『力点』を把握していない可能性があることです。あれもこれもと、やれることはなんでもやろうとしていることがあります。24時間常にフルパワーで介護に当たっていては、ご家族が疲弊してしまいます。それを防ぐために、今本当に必要な介護は何なのかをご家族に理解してもらうことが有用です。これは目立たないことではありますが、在宅医療をスムーズに進めていくためには、とても大事なポイントだと考えています。
患者さんが在宅医療になる前に入院していたときに病院で自然に行われていた行為があると思います。簡単な例を挙げるなら1日に何回かある程度決まった時間に体温を測定されていたというようなことです。
病院での環境下であれば病状の管理上、必要なことかもしれませんが、ご家族が自宅で毎日それらをすべて実践しようとすると精神的に負担になります。例えばご自宅でお看取りをする時期になってまで体温が38度を超えたか超えてないかなどを細かに把握することは、家族に余計な不安を生むだけです。患者さんが苦痛そうでなければ体温が仮に高くても、過剰に介入する必要性は低く、許容していい状態だと思います。重要なのは、患者さんが苦痛なく住み慣れた自宅で最期まで安心して生活していくことにおいて本当に必要な要素かどうかということを判断し、その上で今必要なものを取り組むことです。
これはあくまでも例ですが、在宅医療の現場では、こうした「ご家族がやってあげたほうがいいこと」と「場合によってはやらなくてもよいこと」が混在しています。「今の患者さんにどうしても必要な、やらなくてはいけないこと」をのぞけば、そこまで一生懸命やらなくても良いことはそれなりにあると思うのです。
落ち着いて最期を看取るということをゴールにするならば、あれもしなくてはいけない、これもしなくてはいけないではなく、今は何が必要なのか、そして段階が変わったら何をしなくても良くなるのか、それをご家族にご説明し、納得してもらうことが必要なのです。それが分からないと、いろんなことをしなければ行けないと思い、最初から家族による介護は無理だと考えてしまいます。こういった不安を払拭してあげることも、医療者としての役割だと思います。そうすればご家族の方も、在宅介護での「断捨離」ができ、もう少し頑張ってみようと思えるのではないでしょうか。
それぞれの立場の医療者が同じ方向を見るために。
前述のように、ご家族の不安や負担をある程度軽減できるよう、しっかりと情報提供をすることは必要です。それでもやはり「無理」とおっしゃるご家族もいらっしゃいます。その場合は在宅医療や介護を提供する側がゴリ押しするのではなく、ご家族の希望に沿ってあげることが必要です。
また、もしご自宅で最期まで看ていくという意思決定をされたとしても、別の問題が生じることがあります。それは診療所や、訪問看護師さんなど関わる事業者の間で在宅医療や介護に対する「力点」にズレが生じることがあるということです。そもそも組織が違うわけですから、考え方や価値観が違って当然とも言えます。考え方の違いがあることでズレがどうしても生じてしまうことがあります。ご家族が「介護の断捨離」を進めていくためには、この事業所間の力点のズレを修正し、患者さんを取り巻く人達が同じ方向を向いて進んでいく必要があります。そのために必要なのは、やはり「コミュニケーション」ではないでしょうか。
その考えは正しいのか間違っているのかなど、自分たちの正当性を目的にコミュニケートするのは不毛だと思います。「それは間違っている」「不十分だ」と思うことがあっても、みなの意見が100点ではなくても、もしかしたら自分の視野が狭かったり考えが違っているかもしれません。病院のように一つの組織の中ではなく、関わる事業者が違うので多少の考えの違いは起こりますし、許容することも必要になってきます。患者さんが苦痛なく最期まで安心した生活ができれば、そしてご家族からも安心感が生まれ満足してもらえればそれで良い、ゴールはそこだと思うのです。そして、もしも方向性がズレていくことがあれば、みなで集まって情報を共有する、カンファレンスで意見を出し合う、これが医療者側に必要なことではないでしょうか。
在宅医療を支えるご家族に必要なのは、小さな成功体験。
在宅医療は広まりつつありますが、最初から慣れているご家族は当然少ないです。ご家族は在宅医療・介護というはじめての経験の中で悩み、苦しむことが多々あります。そのような苦悩の中でも「もう少し家族で頑張ろう」となって、いろいろなイベントを乗り越えていきます。そしてご家族の中にも小さな「成功体験」が生じてきます。在宅医療を始める前は「家で最期までは無理!」と心配していたご家族にだんだんと自信が生まれ「最期までみていきたいです!」ということは数多く経験しています。
こうした小さな成功体験のステップが積み上がっていくことで、最終的には安らかなお看取りへとつながっていくのではないか、私はそう考えています。
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